徒然なるまま
アイエスジー文化研究所の小島です。今まで、そしてこれからを考えながら気ままに書き記していきたいと思います。よろしくお願いします。
以前より、業界新聞に連載をしておりましたが、新聞の初回記事からの抜粋を記してみます。
*******************************************
小島です。本号から数回、話題のデジタルプリントインテリア商材のお話をします。今回はデジタルプリント壁紙のお話しです。
1)デジタルプリント壁紙の誕生
皆様は、デジタルプリント壁紙は2000年に世界で初めて日本で誕生したのをご存じでしょうか。
当時世界最速の油性インクジェット:オリンパスPJ3600(1㎡/4分の生産能力:2021年現在の大判プリンタの実仕事・リアルジョブ速度は3㎡/時間~25㎡/時間程度が実際の仕事スピードですが、当時の油性顔料インクは速乾で、15㎡/時間は驚異的な生産性でした。2001年にはXpress2という倍速:1㎡/2分=30㎡/時間のプリンタにさらにグレードアップ。)を使用して壁紙のサンプル帳用見本を作成するというコンセプトが始まりでした。
確かに、壁紙のサンプル帳が2千円-5千円/冊程度の原価で10万冊以上作成しても、壁紙の柄によっては無駄になり売れない製品も多く出るため、この発想は今でいうSDGsに則った考え方でした。その後、デジタルプリント壁紙作成システムとして特許を取得。市場展開をすることになりました。
2)デジタルプリント壁紙発表当時:2000年代初期のエピソード
世界初のシステムにはいろいろとエピソードがありました。
-
- エピソード1:業界誌の反応
当時発行部数No.1の業界紙編集長宛に意見を聞きに訪問。開口一番「こんなモノ売れる訳が無い!」とけんもほろろ。ところがその後1日かけて編集長が独自に市場調査。その結果「前言撤回。これは売れる。将来の可能性を秘めたシステム。」とのお墨付きで一面トップに掲載。
(2000年11月5日号 総合報道誌)
-
- エピソード2:国内大手インテリアブランドメーカーの反応
営業担当であった私は最初にサンプル壁紙を大量に作成して、大手ブランドメーカーに紹介。窓口の担当者はすぐに「面白い」と上申しましたが、当時のトップの回答は「NO!こんな価格の高い壁紙は日本では売れない。」との反応。
当時、末端の販売設定価格は、デザインと数量によって1万円~2万円/㎡としていたそうですが、当時は、1990年代半ばまでのバブル崩壊後にデフレーションが発生。その克服が国内で重要な経済課題だった頃で、安くなければという当時のトップのコメントはうなずけますが、本当に落胆し途方に暮れました。
もっとも、20年後の2021年現在、当時のインテリアブランドメーカーも含めて日本のみならず世界中のインテリア系メーカー・ディーラーが、挙って当然のようにデジタルプリントインテリア商材を発売している現状を見ると、20年前に誕生したデジタルプリント壁紙には画期的な先見性とポテンシャルがあったということに他なりません。
-
- エピソード3:米国国内の反応
とはいっても途方に暮れているわけにもいかず、いろいろと伝手を頼り、海外に活路を求めます。
2002年からアメリカ国内の展示会に出展。結果、来場者の反応は日本国内と全くの正反対でした。
最大の展示会NEOCON(毎年6月シカゴで開催)に2003年に出展後、導入先が増加。(米国での展示会風景:当時は、大判のインクジェットプリンターで壁紙を作成するということが非常に珍しかったようで、黒山の人だかりでした。)(2002年3月6-9日dpi展)(2003年6月シカゴNEOCON展示)
この展示をきっかけにして、米国大手化学メーカーの営業部長もこのシステムを導入してプリントショップを開店。さらに翌年からあちこちでインクジェット壁紙が普及。2000年当時の日本とは正反対。今、あらためてしみじみと思うのは米国は新しいモノを受け入れる基準が日本と違っていたということです。 (米国デラウエア州のデジタルプリント壁紙ショップに導入) **********************************************
今思うと、当時は本当に無手勝流、無謀な挑戦をしていましたが、多くのことを学ばせていただきました。